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パンを知る

【日本でのパンの歴史】創業の歴史を追いかけてみた

現代の日本はすっかり洋風の生活です。生まれた時からパンが当たり前の生活でしたが、この偉大なパンってどうやって伝わってきたのでしょうか。

日本にパンが来て、当たり前になるまでを追いかけてみましょう!

パンの祖「江川英龍(えがわひでたつ)」

パンは、江戸時代にポルトガルから鉄砲とともに伝来したと言われています。ですが、パン実物は少し前の室町時代の宣教師からもたらされたという説もあります。
その後、イギリスと清のアヘン戦争勃発後、日本にも攻められるのではないか!?という危機感から、徳川幕府は祖国防衛に力を入れました。

その一環として、1842年、徳川幕府に命じられた江川英龍は兵糧パンの試作を始めました。実際に、現在は重要文化財とされている江川邸には、パンを焼く”釜”が残されているそうです。(静岡県伊豆市にあります)

米は腐りやすく、炊く際に煙が出るため、敵に気づかれてしまうことがしばしばあったそうです。それに対して、パンは日持ちが良いことを着眼点としたそうです。

今でも、防災食として乾パンが注目されていますよね!パンってすごい!!

町にパンが広がった「文明開化」

本格的にパンが広まったのが、「文明開化」の明治時代からです。
西洋文化が一気に取り入れられます。
洋装、西洋料理(肉食)、ガス灯、馬車、レンが造りの建物などなど。

それとともにパンも広がるんですね!
パン屋さんができ、イギリスパン、フランスパン、などが作られるようになりました。

イギリスパン販売、日本最古のパン屋

1862年頃創業 ”ヨコハマベーカリー” (現在のウチキパンの前身)

イギリス人のロバート・クラークさんが横浜に住むイギリス人に向けて、
イギリス食パンを焼く店を始めた。

横浜が開港されて外国籍の駐屯兵が多く常駐していたそうです。中でもイギリスの勢力は凄まじかったため、イギリスの文化も入ってきやすかったんでしょうか。

1888年頃 打木彦太郎さんがヨコハマベーカリーを引き継ぎ、”ヨコハマベーカリー宇千喜商店”を創業。
当時の製法を今でも引き継いでいるそうで、イギリス食パン「イングランド」は有名ですね!

参考ページ:https://www.asahi.com/and_w/20190227/130156/

フランスパン販売、広まる

1860年頃創業 “富田屋”(横浜)

フランス人にパンの製法を習った内海兵吉さんが1860年に「富田屋」を開いたのが、近代的なパン販売の始まりとされます。

1888年頃創業 “関口ベーカリー”

一方、長尾鉀二(後の関口フランスパン職工長)さんはフランスでの修行後、教会敷地内に製パン工場を建てました。

関口フランスパンは、明治21年(1888年)4月、小石川関口教会(現関口教会)付属聖母仏語学校製パン部として創業。

参考ページ:関口ベーカリーHP

薩摩藩他、新政府軍はイギリスと友好関係を結んだのに対し、政府軍はフランスから支援を受けていました。そのため、当時、日本にはイギリスパンとフランスパンが浸透していったそうです。

日本独自のあんぱん、ジャムパン、クリームパンが広まる

1862年創業 “文英堂”(現在の木村屋)

木村屋はあんぱんの元祖です。

1875年4月4日、酒種あんぱんが明治天皇に献上されました。季節感を表現できる「桜」に目を向け、日本を象徴する国花である、八重桜の花びらの塩漬けを取り寄せ、あんぱんに埋め込んでみたそうです。なんとも可愛らしいです。

だから、4月4日はあんぱんの日とされています。

木村屋のフレーバー豊富なところが好きです。小さなサイズのしっとりあんぱんがたまらない!

その後、明治33年に木村屋3代目儀四郎さんがジャムパンを新発売し、大評判となります。このジャムパンはビスケットにジャムを挟むんで食べていたことをヒントに生まれたそうです!現代まで引き継がれるツーヒットを生んだんですね

参考ページ:木村屋HP

明治34年創業 “中村屋”

中村屋はクリームパンの元祖です。

創業者夫妻はある日、初めてシュークリームを食べてその美味しさに驚いたそうです。そして、このクリームをあんぱんの餡のかわりに用いたら、一種新鮮な風味が加わって、あんぱんよりも少し高級なものになると考えたのです。明治37年に発売すると、大好評で、同時にクリームワッフルも販売。

参考ページ:新宿中村屋HP

戦後、パンの近代化

第一次世界大戦

シベリア出兵によりロシアパンの味を知り、ドイツ捕虜によるドイツ製法の導入がありました。ただ、敗戦後はアメリカ式のパンが支配的だったそうです。

ドイツパンは硬くて日本人の口に合わないため、広まりにくかったというのもあるのでしょう…

第二次世界大戦

アメリカからの食料援助がきっかけでアメリカ式のパンが広がりました。

アメリカからの支援の結果、学校給食は基本的にアメリカ産の輸入小麦を使ったパンを使用していました。パン、脱脂粉乳(のちに牛乳)、 副菜という形ができあがり、その後約20年にわたって、学校給食=パン食の時代が続きます。

この裏側にはアメリカが日本を支配しようとする策略があったそうなんですが、詳しくは分かりません!

日本は今でもアメリカから多くの小麦を輸入していますね!アメリカ小麦の良さもありますが、外国に食料で支配されないために、日本の小麦栽培がもっと増えればいいのにと、漠然と思っています。

話を戻して、その後アメリカではバターロールが誕生し、今ではホットドッグやハンバーガー、ベーグルなどがありますね。

参考ページ:学校給食ニュース

さいごに

このようにしてパンは少しずつ広がっていきたのですね。日本ではフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、様々な国のパンは食べられて楽しいですね。

また、今ではどのパンにも属さないような、パン屋さん独自の個性的なパンもあります。アレンジの方向性が多種多様なのもパンの魅力だなと思います。

(参考資料:「パンシェルジュ検定公式テキスト」
      「いちばんくわしいパン事典」
      「小麦粉-その原料と加工品-」

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